悲嘆に酔わずに書こうと思う

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猫坊ちゃんのこと。

悲嘆に酔わず、恬淡と書くよう努力したいと思う。

 

 

肥大型心筋症という猫の心臓病があることを、ご存じの方も多いかと思うが、わたしはそういった病気があるらしいと風評では知りつつも、その現実に見舞われるまでは、遠い話だと思い、詳細にはわかっていなかった。

 

 

深夜、坊ちゃんといつものように添い寝していたとき、突然、腕の中でへんなしゃっくりみたいなものをした。

目がうるうると涙で膨らんだようにして、なにか変だと思った。

翌朝、いつもより元気がなく、念のために病院へと行った。

獣医師が聴診器を胸にあててすぐ、雑音がする、と言い、低体温だと。

とりあえず夕方迎えにきてください、あずかります、とのこと。

 

夕方、わたしはのんきに「お迎えにきました~」と元気に訪ねていった。

お話があります、と言われる。

胸に水がたまっている。肥大型心筋症の急性期で酸素室にいる、と。

このまま預かりますというのでお願いし、面会させてくださいと申し出た。

このときまで、入院して治療すれば帰れるのだ、と思っていた。

 

酸素室の窓を覗いて、声をかけた。

寝ていて、わたしに気づき、あっと起き上がろうとした瞬間、息が吸えないというように苦しみだした。口を耳まで裂けるほど開いているのに吸えないというような、おそろしい苦悶する姿で、わたしは取り乱した。

先生、どうにかしてください、苦しそう、助けてやって、と。

先生も慌てて酸素濃度を上げる。

そのとき、はじめて深刻な事態だとわかった。

苦悶の終わりがまっているのだと直感的に思った。

 

取り乱しつつ、苦しいことはしないで、もう苦しい治療はしないで、楽にさせてやる方法はありませんか、安楽死だっていい、わたしの腕に抱いたまま眠らせてやれることはできませんか、と。それくらい断末魔のような苦しみようだったのだ。

しかし、ドクターは、うちはそれはしません、と。

治療はするが安楽死という方法はしないと言われた。

なにかあったら連絡しますから預かります、と。

待合室へ出て、受付の人にも何度も、苦しいことだけはしないでやって、とすがりついて頼んだ。

 

その夜、ずっとまんじりもせずベッドにいた。

淡い希望を抱いて。

もしかしたら治って帰れるかもしれない、という夢を見たかった。

遠くで廊下を鈴の音と走ってくる足音が聞こえた。いつもベッドへと駆け込んでくる足音みたいな。

ああ、帰ってきた、と思ったとき、電話が鳴った。

今、旅立ちました、と。

あの子の魂は帰ってきたのだ。駆け足で。

 

どんなにか甘えん坊でわたしの姿が見えないと探す子だったのに、病院でひとりで逝かせてしまったことを、いまもわたしは悔いている。

病院にあずけるとき、めったと鳴かない坊ちゃんが看護婦さんに抱き上げられて「ミッ」と言った。それが最後に聞いた声になると、どうして思うだろう。

朝すこし元気がないというだけから、たった一日もたたないうちにおそろしい結末を受け入れろと言われるとは。

胸に抱いて話しかけてやればよかった。あんなこと楽しかったね、さてあしたなにして遊ぶ?少しねんねしよう、ずっと抱っこ抱っこしてるから、寝て目が覚めたら、またいつもみたいに遊ぼう、大好き、おやすみまたあしたね、と言ってから、安楽死させてやればよかったのではないか、と。

 

猫坊ちゃんをわたしに譲ってくれた方にメールしたとき、すぐに電話をくれた。

「ぼくはとってもしあわせだったよって言ってますよ」という慰めを言われたのだが、わたしにはわからない、と答えた。

と、彼女は通常とてもおっとり優雅に話す方なのだが、怒った涙声で「そんなことない!ぜったい思ってる!」と耳元で叫んだのだった。

ひとはとても優しい、と思った。やさしい慰めだ。

病院でドクターにも、「自分がうかつでもっと手前になにか気づいてやれていたのでしょうか、見落としていたのでしょうか」と聞いたとき、「いいえきっとわからなかったと思いますよ」という返答だったときもそう思った。

みんな悲嘆にくれるわたしを慰めている、と。やさしい慰めだと。

 

まだ3歳半で、長い闘病でない急逝だったこともあって、ふっくらして、毛もつやつやしている。

病院を出るとき、看護婦さんがこんなにおおきくてきれいでどんなに大事にされてたかわかりますよ、と告げた。

人前で声をあげて泣いたことなど、わたしは子供時代でさえなかったのに。

 

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まっすぐな信頼と愛情を一身に浴びせるように注いでくれた猫に、わたしは相応のものを返せていたのだろうか。

これからも幾度も思い出しては、あの看取りについて煩悶すると思う。

 

手をにぎりながら自宅で看取ったという話を見聞きするたび、自分のそうできなかったことが身に染みる。

駆け足で帰ってきたあの夢うつつのような、タタタタッという足音。

 

もう5年も前のことなのに、昨日のことのようだ。