ねこの名前を呼ぶとき
photo by deadoll
我が家の猫はもうずっと前から天国に行っています。
ここを開設する前、別のところに写真ブログを持っていました。
急逝(肥大型心筋症)により、ブログはそのまま、そのことに触れぬまま放置していました。
恥ずかしながら、アニマルロス(ペットロス)に陥って、ぐるぐると同じスパイラルで哀しみにつかっていました。
アニマルロスについて調べたり、虹の橋の伝説を見聞きしたり、哀しみから救ってくれるものを探してまわりました。
しかしどれも、魔法のように救ってくれるものは、何一つありません。
結局、よくいわれる通り、それぞれが自分で、狭き門をくぐっていくしかないのでしょう。時間も良薬なのかもしれません。
1年半ほどたっても、まだわたしはぐだぐだしていました。
気分転換に軽い気持ちで Instagram をはじめました。ふつうの日常、身の回りのスナップです。
たまたま、Casetagram (iPhoneケース) をそこで知りました。IG でポストしたペット写真をケースにしている方を見かけたのです。
そうか、これなら一緒に持ち歩ける、とケースを作る目的で、猫の写真をポストし始めました。
今まで見返すこともできなかった写真たちです。 ただ機械的にポストしていきました。ケースにするための素材だから、と淡々と。
もういない猫だとは言わずに。かわいそうがられるのは、あのこがいやだろうと思ったのです。
すると、見知らぬ国の遠い人々が、いいね、のボタンを押していきます。
リオデジャネイロ、リバプール、オスロ、パリ、ベルリン、、、
あっという間にすごい距離を飛んでいき、いろんな国のヒトの網膜に映っていくのでした。
世界中を瞬時にぱぱっと渡って旅をしているように思えました。
ずっとどこにいるか探していたのに、元気に旅をしているのか、と思えたら安堵したのです。
七つの海を渡って冒険していると思ったら、爽快な気分でした。
それに、ポストしているあいだはずっと、毎日を一緒に過ごしているような、幸せな錯覚がありました。
3月下旬、Instagram に猫写真の最終ポストをして、ひとつのくぎりとしました。ねこと別れて2年近く経っていました。
そして今日、届いたiPhoneケース
小さくデザインをまとめました。わたしの掌に収まるくらいにしていたかったのです。
ところで、わたしはかつてTwitter でも Instagram でも、いまここでも、猫の名前を書いたことはありません。
たいした名前ではありません。垢抜けない、平凡な名前です。
はじめのころは、喉から先に名前を出すこともできませんでした。呼んでそれに応答する相手がいないのが苦しく口にできなかったのです。
今は、いつかの再会の時に、その名を呼ぼう、と思っています。
呼ばずにはおれない、そんな猫に出会ったときに。
ユリイカ2010年11月号 特集 猫
に、福永信さんの「昼寝による永遠」という超短編があります。 このラストで大泣きしたのですが、くりかえしくりかえし転生してはまた出会うおとぎ話に、わたしもいつか猫の名を呼びたいと思ったのです。
似ても似つかぬ猫だけれど、あのこの名をふいに呼びたくなるような、そんな出会いがあればいいな、と。
そして呼ばれた猫のほうも、どうしてだか立ち止まってしまうような、不思議な再会があればいいと願っています。
たまたま、ソーシャルメディアについて勉強しようと、楽しいみんなの写真 -とにかく撮る、flickrで見る。ソーシャルメディア時代の写真の撮り方・楽しみ方という本を買って読んでいたのですが、そこに、写真は一人でながめているより、公開して誰かに見られるのを待っている、というのがあります。
まさしく、、、ネットの海に放流したのは、結果として、わたしには幸いなことでした。
アルバムに閉じ込めないで良かったと思いました。
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