ゴッドファーザー
好きな映画のひとつ。
ゴッドファーザーは たまに観返したくなるシリーズ。
チラッとしか出ないが、冒頭のシーンでドンが猫を抱いてるところも印象深い。
1 ≧ 2 ≫ 3 という順位付けは満場一致か。
注釈:
≧ (より大きいまたは等しい)
≫ (非常に大きい )
ファミリー 家族の物語
日本でいうなら任侠モノかもしれないが、権力と闘争の血なまぐさいドンパチも目をひくが、それ以上に家族の物語である、というのが人々の心をつかんだのだと思う。
赤の他人とちがって、家族のしがらみは重い。いろいろ思うことはあっても、さっさと捨ててバイバイとは簡単にいかないのが普通である。
ドンには3人の息子がいるが、長男ソニーはかっときやすく、ドンの器にないと親でさえ思っている。次男のフレドは。。。いろいろ足りない子である。頼みに思う三男マイケルは、家業に大反発中。
この次男フレドの出来ない子ぶりが、後に哀しいことになるわけだが、、、
正直、家族ともなれば内心ちらと「ああ、こいつがいつも足をひっぱるのだ。はずかしい。こんな兄弟なら、最初からいないほうがよかった」と思い浮かんだことが幾度かあったであろう、というくらい、いろいろな意味でお弱い。
かばいだてもし、なんとか補佐しようとしても、弱さから、何度も同じような失敗をする。許す側は疲れてくる。
しかたない、と諦めて付き合うのだが、もうどうにもならないことをしでかしてくれる。
で、マイケルはファミリーのため、兄を抹殺するに至るのが、2のラストであった。
リアルな家族の苦しみ しがらみ
どうでもいいことですが、ここで日本の盆と正月を思い出したのだった。 ← とーとつ
たまに事件がありますよね。帰省して、家族で諍いとなって殺人になった、とか。
兄弟とはいえ、生活全般に格差があったりすると、いろいろある。
コンプレックスを抱く側の生活者である弟が、世間的にはまっとうな生活者とされている兄に正論で意見されて逆ギレ殺人、とか何年か前のニュースでもあった。
子供時代は一列で、親に愛されている側ですんだことが、オトナになると、並列ではなくなる。
進んだ道で、出会う人、出会う環境で、それぞれちがうモノに形成される。並列ではなく、凹凸ができる。
それぞれの仕事の差、収入の差、男であれば妻の人となりのちがい、子供の成績、住む家のレベル、持ってる車のレベル、とちがうのである。
フレドはほんとうに家族でいたとしたら、最後には倦み疲れる存在だろう、と観ながら思ったのだった。
弱い人は哀しい、とあわれではあったけど。
内幕モノのオフィシャル本が面白い
1のビッグヒットでみんなぐわーっとスターダムに昇り、その光と影といいますか、2ではクレメンザ役の太ったおじさんもわけのわからん要求したり、3でもトム・ヘイゲン役のロバート・デュバルがギャラでもめて出ず、どちらもサクッと死んでる設定になった。いろいろあったですな。
映画で、ファミリーのママンはほとんどせりふもないのでいまひとつキャラ不明だったけれど、原作を読むとイタリアンおかんぽくて、ばしーっと周囲を怒ったりと太っ腹であった。
そして、インサイドストーリーの一冊。分厚くて重い。
ザ・ゴッドファーザー
製作秘話。やや高い本だが、読む価値はあった。
冒頭子猫さんの逸話として、ドンのセリフよりもマイクが猫の喉ごろごろを拾ってしまって、マーロン・ブランドのギャラが台無しになるところだったとか。いいやん、喉ゴロゴロで(笑)
ブランドがカリスマ性のある名優であるのは確からしい。神降臨くらいなオーラがあるのだとか。
しかし、カンペなしではセリフが出ないのも有名で、その裏側の写真披露には笑った。
こんなシーンで、こんなことしてカンペ読んでたのかーーーーっと。
でも、すごいナチュラルなのがすごい。視線をやって読んでるとは感じない。あれは一種の御守りなのだろうか?
なお、1において穴だらけとなって死亡したソニー役の兄様は、2のラストの回想的な食事会にのみ登場するが、にゃんと、そこだけ出演で1のまるごとギャラと同じのをもらうのが条件だったそうです。
ビバ、ハリウッドである。