アニメ版 「ベルばら」で思い出したこと
アニメ版がやたら原作とは違うというのは、最近知った。
リアルで観ていた方たちからすると、もうとっくに既出の話題、考察点らしいですね。
初回放映で????となって、記憶ちがいかと文庫を買ったほど。
うむ、お嬢様を従僕がグーで殴るとか、やっぱりなかった
「そうだ、その目だ!殴ってこい!」と従僕のほうから挑発 ←ミリオンダラー・ベイビー?
いろいろ奇天烈なスタートだった。
後半、なにやら監督が交代したらしく、がらっと作風がかわる。
ひとつの作品なのに、監督によってこうも変わるとは、という。
で、今回、アニメ化でどうちがうのかという点を言いたいのではない。
ふと思い出したのだ。
原作者にとって作品とはどういう存在なのだろうか、ということを。
以前、辻村深月氏が自作のドラマ化を拒否して訴訟になったことがある。
自分が生み出した作品を、思いの外はずれた解釈で脚本化されて納得いかず、という生み出した親ならではの考えかとお察しする。
作家によっては、ドライというかもっとビジネスライクに、商業として成功するのなら、専門家である映像作家におまかせ、まな板の上の鯉のごとく、どうにでも作品を料理してくれてもいい、とどーんと丸投げすることもあるだろう。
どちらがよく、どちらが成功するかは別として。
ということを、このアニメを観ながら思ったのだった。
全般、いろいろ違うことは、まあそういう解釈版だということでと観ていたのだが、終盤38回においてあんぐり。
ほんとうにびっくりしたオスカルさん。
部下の前で堂々と夫紹介したところは、まあ、まあ、なんとかいいとする。
次の瞬間、爆弾投下。
おちゅかるが、、、、夫に従う、意見を言ってくれって、、、(゚ロ゚屮)屮
↓ その時の心情(イメージ画像です)
アイデンティティ崩壊
父に「このような人生を与えてくださったことに感謝します」と言った人。
人形のような人生ではなく、軍服に身を包んだからこそ、観られた広い世界がある、と。
自己で考え抜き、苦しみ抜き、もがき闘い、道を切り開いてきたこと、その芳醇。
というキャラではなかったのか。。。。
あ、ありえん。と思っているうち、夫君が撃たれていた。(38回終了)
原作者は、どう思うものなのだろうか。
一旦映像作家に預けたので、そこから先は好きに料理してくれ、と思ったのかな。
PC2015年04月30日14:05 その他 小説をドラマ化するための許諾契約を一方的に解除され、制作中止に追い込まれたとして、NHKが、原作者から著作権の管理委託を受けていた講談社に約6千万円の…
オスカルがそんなことを言うなんて、と。夫君アンドレがいちばんびっくりしただろう ←
アニメはアニメで、映像作家の拡大解釈のおかげでキャラ心情の補填みたいになった場面もあり、それはそれでなかなか面白かったのだが、最後の夫についていく発言は、軍神を全否定だな、という感じで、およよよよ、であった。
どっちにせよ悲哀の結末なので、イントロ聴くだけでカワイソスなフィーリングとなる。
ひじょうに哀しい気持ちを払拭するニコ動を。