ねこベッドの話から色々
よく晴れた冬の空
柏の葉も紅葉している。
洗濯物がよく乾く日和は心地よいもの。
猫坊ちゃんのお気に入りの猫ベッドは、第一はわたしの膝、第二に夜に添い寝するヒト用ベッドだけれど、猫専用のもお気に入りがあった。
ふたつあって、そらまめ屋さんのものと、アッシュさんのもの。どちらもその当時は入手困難な人気商品で、瞬殺で売り切れるのが常だった。手に入れられたのは幸運だったと思う。どちらも今は休業中のようで、猫好きさんたちには残念なことだろう。
————————————————————————–
最期の日の話だが、坊ちゃんは病院で亡くなり、猫ベッドを胸に抱いて迎えに行った。
それで家に戻ってきた。しばらくのあいだ、居間から外を眺めさせる形で寝ているようだった。
天国への旅立ちの後、泣きながらいろんなものを仕舞っていった。
猫ベッドをふたつとも洗った。天気が良くて、日に干して、風を通して、すごくふかふかになった。
大きな綺麗な風呂敷に包んで、押し入れにしまった。
そのときの気持ちを、数年たった今もなお、うまく表現する言葉をわたしは持たない。
空洞の胴体で、風が吹き抜けるまま棒立ちしているような。
数日後、前からの予定で、親戚の結婚式に参列した。
毎日眠られず、とめどなく涙がこぼれるありさまだったけれど、この日だけは、なんとしても一日がんばろうと思った。
なんとしても笑顔を装うのだ、と。
慶事に小さな影でも落としてはいけないと思うから。
誰にも言わず、誰にも悟られなかった。
オトナというのは誰しも、個々人の苦しみや哀しみを抱いて、笑顔で武装して歩いている。
笑っているから、ノーテンキにいつもお気楽で楽しそうね、と簡単に言うヒト、哀しみを隠してがんばっているヒトを鼻で笑うようなヒト、そのような想像力の欠如したヒト。
自分が苦しいときや哀しいときだけ騒ぎ、他人の痛みには無関心なヒトを、わたしは信用しない。
————————————————————————–
ただあの日、ハレの時間以外は気を抜いていたのだろう。
行き帰りの列車内で、ヒトがそばに座ろうとして、はっと思い直したように離れていった。
きっと、いまにも泣きだしそうな顔だったんだろう。
洗濯日和の青空を仰ぐとき、たまに思い出す、そんな話である。