写真を撮るには不自由な時代
キャンディッドフォトといえば、森山大道氏とかだろうか。
スナップ写真も気軽に撮りづらい世相。
最近、不審者情報が公的機関から届くのだが、中にはちょっと首を傾げる系もある。
「女子高生が数人で帰宅中、知らない男がカメラを構えていた」
→ ただ風景を撮ってたところを、彼女らがフレームインしただけかもしれない。
「少年たちが見知らぬ男に、みんなで遊んでいるところを撮ってもいいですか?と声をかけられ、写真を撮られた。」
→ あらかじめ声をかけてから撮っても通報されるのか、と唖然。
カメラが趣味の男の人は大変だ。
もちろん、エスカレーターの盗撮や、こっそり付け狙うように撮る本当の不審者は通報ものだが、この時代、いろんな事件があるだけに、みんなが過敏なまでに自意識過剰な気がする。
女性のわたしでさえ気をつかうのである。
桜の満開を撮るとき、当然、たいへんな人混み。あまり人に向けないよう、花だけにレンズを向けているよう、あおり系になりがち。
高校球児らを撮るのも、小さく。しかも、このように絵画風に加工してソーシャルへ出す。
顔はいっさい撮さない。
もうこれは絵ですね。
とある思い出
子供の頃、住んでいる区域でフォトコンテスト写真展があった。
展示されている写真の中に、わたしが写っていたよと近所の人が教えてくれた。
家族で見に行った。
お祭りの日、ホットパンツむちむちの少女(わたし)がアイスを食べながら、仲間とともに闊歩している写真だった。
家族みんなで笑いながら大判パネルを見た。
嫌な気持ちになどならなかったし、今から思えば、あの写真をもらっていればよかったな、と思う。
元気な少女そのまま、若いエネルギーが発散されていて、今はもう手の届かないものである。
スナップ写真とは、それほど悪いことなのだろうか?
ただの郷愁なのだろうか。
牧歌的な時代、SNSに流して広まるなどということのない時代だったからだろうか。
誰も不快だとは受け取らなかったのは、、、。